第九
今日のお客様は昨日『第九』に参加されほっとされた方です。
多分、疲れているからと今日に予約を入れてくださっていました。
お身体はお疲れでしたが元気な張りのある声でおしゃべりしていただきました。
ベートーベンの一生の勉強もしながらの『第九』だったそうで老若男女参加で、いつもの年より感慨深いものだったそうです。
クラシックで歌詞があることじたい今でも珍しいのに、ベートーベンの時代となると、まったく新しい風を吹き込んだことになります。
そして今の時代にも愛されてるのは天才と言う言葉では表しきれない大きな使命を背負った人間だとも考えます。
ベートーベンが可愛がっていた甥の自殺未遂や愛人との別れの後に作られたと言われ、どん底からの光のような流れのなっているとのことです。
人生讃歌だから愛され続けるのかもしれません。
『第九』がなかったら、クラシックをもっと遠い存在に感じたのは私だけではないと思います。(私だけかもしれませんが)
今年、どこかで『第九』を聞いたらそんなことを思いながら聞きたいと思います。
『音楽』『本』は不思議です。
その、年代によって捉え方が違ってきます。
先日も有島武郎さんの『或女』を読み返したお客様が、嫌いだった登場人物が今は理解できるとおっしゃっていました。
「私も又、機会見つけて読んでみます」とええかっこ言いましたが読んでると思うのですが、内容はおろか登場人物の名前一人もでてきておりませんでした。
ただ、或(ある)と言う字だけ頭に残っていました。
こうして、たまに高尚な話になると冷や汗が吹き出ることがあります。
時々、トンチンカンな答えもありますし、なにを言っておられるかわからないときは「今、ここ押してるところ痛くないですかぁ?」と話をそらそうとします。(いつもではないですよ)
ベートーベンのお客様はちゃんと歌を習われてて、ト長調やらのお勉強もあり、ワケわからなくなるそうです。
お年のことは関係ないと思いますが70過ぎですごいなぁと尊敬します。
私も音楽を聞いて本を読もうと思います。
多分、来年はものすごいものすごいがんばります。
(ほんまに頑張る人は今日からがんばるものです)
来年からやりますよー。